金長神社とは
昭和31(1956)年に建立されました。金長大明神がおまつりされています。金長大明神の金長狸は、天保年間の阿波狸合戦の講談で全国に有名となり、四国の三大狸とも称され、勝負や受験、商売繁盛、恋愛成就、芸事や芸能にご利益ありといわれます。
金長狸を観光の目玉にと日開野の大和屋子孫の家にあった祠を市営グランドに移設し神社を建立しました。以来、宮司一家、観光協会、金長奉賛会、地元住民の協力により維持管理し、運営してきました。
阿波の狸合戦とは天保年間、日開野の大和屋という染物屋を営む茂右衛門が人々に虐められていた金長狸を助け家においたところ、大和屋が繁盛しおまつりをするようになった。
金長は自分や茂右衛門のためにも位をあげれるように津田の六右衛門のところに修行に行く。
六右衛門に認められ婿養子になり跡を継ぐことをすすめられるが茂右衛門との約束のためにその話を断り帰ろうとする。
そのままにすると金長が敵になると考えた六右衛門は金長を殺してしまおうと考える。それを察し六右衛門のもとから金長は逃げようとするが藤樹寺の鷹が金長の身代わりとなって戦死してしまい金長はなんとか日開野へ逃げ延びた。
金長は鷹の仇討ちをするため同志を募り六右衛門との戦いが繰り広げられる。
金長は六右衛門を討ち勝利するが自分も深手を負い命を落とした。